Study > 手話研究のこれまで

研究のこれまで

手話が研究対象になったのはかなり最近のことで,半世紀たったかたたないかというところ.とはいえかなりの研究があるので,初期から現在までを概観するのは大変です.書き手の能力もそれを許しそうにないので,ごくごく簡単にまとめてしまうことにします.ある意味暴挙ですが,お許しください.

手話研究が始まるきっかけとなったのはWilliam Stokoeによる「手話の構造」という研究1で,それ以前は手話は音声言語の劣化コピーでしかありませんでした.公教育の場においては口話法による音声言語の獲得が是とされ,手話は(そしてろう者も)抑圧され続けます.しかし,Stokoe以降は研究が進むにしたがって手話が言語であることが認識され始め,同時に「ろう文化(Deaf Culture)」が提唱されるようになります.この流れは,ろう者が自身を少数言語話者であることを認識し,自分自身の手に権利を取り戻そうとする社会運動につながっていきました.(2007/02/12 追記)

主として進められてきたのは手話の構造を明らかにすることで,音声言語の分析手順に沿い, 手話が「独立した構造を持つ」ことが明らかにされてきています.すなわち,手話とはパントマイムやジェスチャーとは明確に異なる,音韻・形態・統語論上の体系を備えた言語であることがわかってきたということです.したがって,手話研究の最大の成果は「言語とは音声である」という枠組みを打破したことにある,と いえると思います.日本では1995に木村・市田さんの書いた「ろう文化宣言」(2)以後,「ろう」「手話」「ろう文化」をめぐる議論が盛んになってきました.つまり研究対象が,手話という「言語」からろう者という「人」あるいは「社会」へとシフトしてきています.言語学的な面からはもちろん,文学,社会学,教育学,歴史学など 様々な視点から問題を捉えよう,捉えなおそうという多岐にわたる動きが見られます. 次はこれについて見ていこうと思います.

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様々な議論

では,今現在どのような議論があるかというと,これも様々な議論があります.やはりすべてを概観することは とてもできそうにないので,私が関心をもっている分野の紹介を,これまたごくごく簡単にしていこうと思います.

面白そうだな,と思っているのが障害学3)で,障害を切り口にして 社会・文化を捉えなおし,リハビリ,福祉,教育などの「枠」から障害や障害者を「解放」しようとする こころみ.つまり,障害という語彙にくっつけて考えてしまいがちな福祉とか特殊教育とか,そういう言葉を 引き剥がして,もっとクリアな形で議論をする必要があるんじゃないか,という問題提起をしているのだと思います.金澤貴之さんの「聾教育における「障害」の構築」では,聾学校という教育の現場で手話・障害がどのように聴者に都合よく構築されてきたかが,丁寧に分析されています (4).

それから会話分析.会話分析にもふたつ方向があるだろうと思いますが,ひとつは言語に照準した方向.音韻・形態・統語の構造だけではなくて,たとえば会話の進行や使われる言語形式などは詳しいことがまだほとんどわかっていません(5).少しずつ研究が進み始めているようですが,課題はまだまだ残っているでしょう.もうひとつは社会に照準した方向.こちらはサックスたちの仕事に代表されるような,会話分析が開発してきた概念道具を用いた「カテゴリー化」や「権力作用」などの研究があたるかと思います.こちらの方向でやる価値があるだろうと思っているのは,隣接する諸領域との対話によるアプローチ.先ほど紹介した金澤さんの研究は主として聾児の両親の手記や, 聴者の聾に対する言及などを分析の資料として扱っていますが,では,実際に教室場面での生徒と教師とのやりとりでもそういうことが見られるのか,それとも何かまた別の要素があるのかといったことには触れられていません.もし教室場面の分析が可能になれば,また違った視点からの議論が展開できるはずです (6).もちろん他の領域同士でも同じことが言えるでしょう.

ただ,会話分析的なアプローチは今のところほとんどされていないといってよいと思います.大きな理由は研究に必須のトランスクリプトを作る方法論がまだ開発されていないことでしょう.情報工学の分野では,手話-日本語の翻訳ソフト開発のために, どういう記述ができるかという研究をしているようで大いに関心のあるところです.ただし,それがそのまま会話分析に応用できるのかという問題は別にありそうです.音声言語のトランスクリプトを見てもわかるとおりすべての情報がそこにはいっているわけではないし,手話という言語において何が言語情報でなにが非言語情報かという点についても検討していく必要もあります.

最後は分野のではなく,私が手話をめぐる議論を眺めてみて感じていることを少し書いてみようと思います.まず,手話が言語であるということが主張されたことによって状況が一変したのだということ.ろう者や手話というものに対する様々な議論が交わされるようになり, 今まではあまり見えてこなかった問題が認識されはじめています.その一方で,「耳の聞こえない人の言葉」のような非常に一般化された,あく抜きされた 手話のイメージがやはりあって,これがかなり浸透しているということ.たとえばドラマだったり,総合学習の時間にやっている(らしい)手話コーラスだったり. そういったものにはやはり「純粋さ」や「無垢さ」だったり「福祉」や「障害」といった 「枠」がつきまとっているように思います.そういったものとどう付き合っていけばいいだろう,ということを心に留めておかないといけないんだろうなというのが私の感じていることです.当然といえば当然ですが,「そんなのおかしーぞー」と声高に叫んだり, 変革を目指して運動したりするだけではどうしようもないと思うから.

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これからの研究

かけあしで,しかもかたよった感じで現在までの研究を紹介してみました.今後どのような研究が 可能なのか,また必要なのかについても触れたつもりですが,ここでもう一度まとめてみようと思います.

まず,研究対象が「言語」から「人」へとシフトしてきていること.それによって, 手話やろう者だけではなく,彼らも含みこんだ「社会」への問題関心が高まってきていること.そういったことを考えていくのにどういった道具立てがあるのか,ということでここではふたつを 紹介しました.また様々な領域があり,それらの対話が重要になってくるのではないか,ということも書きました.「様々な議論」で述べた最後の点については,まだ私には見通しが立ちませんが,とりあえず現状をしっかり 認識しつつ,その先によりよく生きられることを考えていく必要があるだろうと思っています.

最後は(最初からか?)はっきりしない話になってしまいましたが,このページは以上でおしまいです.

補記:後からちょこちょこ変更するかもしれません.たぶんします.

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1  Stokoe, W., 1960, Sign Language Structure, Studies in Linguistics Occasional Papers 8, Buffalo: University of Buffalo Press
2  木村・市田はこの中で,ろう者の定義を「ろう者とは,日本手話という,日本語とは異なる言語を話す,言語的少数者である」としている (ref.現代思想編集部編 2000 『ろう文化』 青土社).
3  石川准・長瀬修編 1999 『障害学への招待』 明石書店, 石川准・倉本智明編 2002 『障害学の主張』 明石書店などを参照.
4  金澤貴之 1998 「聾文化の社会的構成」『解放社会学研究』12 pp43-56 でも議論されている
5  鳥越隆士・小川珠美 1997 「手話で以下に会話が進行するか―発話交替における重なりを中心に―」『手話学研究』14(1) pp13-20 が先駆的研究といえるだろう.
6  好井裕明 2000 「制度的状況の会話分析」『会話分析への招待』pp36-70 世界思想社,山田富秋 1995 「会話分析の方法」『他者・関係・コミュニケーション』pp121-36 岩波書店 などでも隣接する領域と会話分析的アプローチとの対話が主張されている.