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2009年7月 7日

SpolskyのLanguage Management

SpolskyのLanguage Management私の所属している研究室のプロジェクトとして言語管理理論を使った論文のリストというのをずっと前から作っているのですが,今期のゼミでは2006年あたりから2008年までの論文をまとめています.いろいろと探していたら見つけたのが以下の書籍.出版は2009年4月なのでつい最近のものです.

  • Spolsky, Bernard. 2009. Language Management. Cambridge University Press.

Spolskyが考えていることを大まかにまとめると,個人が様々な場面(e.g. 家庭,職場,パーティ etc.)でどんな言語使用をするのか,という言語選択に関わること.彼はそのことをLanguage Policyと呼んでいます.またそういった言語選択に関わる要素として「観察可能な言語使用(language practices)」「個々人が持つ言語に対する価値判断(language briefs)」「言語使用と価値判断を更新すること(language management)」の3つを挙げ,モデル理論を構築しようとしています.

展開されている議論についてはひとまずおいておくとして,個人的に気になったのはLanguage Managementという用語の解釈を間違えている(あるいは誤用していると思われる)こと.イントロダクションで言語管理理論の主要論文を参照しつつ話が進んでいくことからもわかるように,LMという用語はSpolsky独自のものではなく,1960年代(さらにさかのぼればポストモダン以前)からのLanguage Policy,Language Planningの議論を批判的に発展させてきた言語管理理論(Language Management Theory)(Neustupný 1994)によるもの.言語管理理論は言語問題を扱うフレームワークの1つで,ミクロからマクロまでの幅広い範囲を射程に収めつつ,問題の処理をプロセスとして体系的に記述し分析することを可能にしていますが,キモは言語問題を処理するプロセスに注目した概念だということだと理解しています.したがってマクロな政策の問題だけでなく,個人的な談話に現れる様々な言語問題処理(e.g. コード・スイッチ,フォリナー・トーク,聞き返し,不満の表明,意見の不一致など),さらにはそれらが表層に現れるまでの背景を統一的な枠組で捉えることができるわけです.

一方でSpolskyが考えているLMは言語選択に関わる段階ないし要素の1つ(言語管理理論との対応をとれば調整の段階)と考えられるため,残念ながらプロセスとしてのLMを矮小化してしまっています.つまりSpolskyが考えている言語選択の問題はLMTのプロセスに「含まれている」はずなのですが,そこを看過してしまったために「言語使用と価値判断を更新する」という調整のプロダクト研究になっているように感じました.

なので,もう少し丁寧に解釈したほうがよかったんじゃないだろうか,そのほうが広がりのある議論になったんじゃないだろうかという感想です.

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2009年6月26日

インタレスト

移民時代の言語教育6月最後の勉強会では,つい先頃でた本,『移民時代の言語教育―言語政策のフロンティア1』の中から,ネウストプニーの「二十一世紀に向けての言語政策の理論と実践」を読んでみました.今まであまり強くは意識していなかったことがかなりはっきりと指摘されていて,9年も前に書かれた(1)とは思われないほど新鮮な読後感でした.

  • 田中慎也, 木村哲也, 宮崎里司 編. 2009. 移民時代の言語教育―言語政策のフロンティア1. シリーズ 多文化・多言語主義の現在, 3. 東京: ココ出版.

面白かったのは言語管理に関わる主体を捉え,記述していくのに必要なキーワードに参加者が抱えているインタレスト(関心,利害関係)や志向,どんな権力を支持しているのかを見る必要があるということをはっきり示していたこと.このことは,誰が,どんな意図で,どんなことを,どのように実行しようとしているのか,またそれはどんな支持基盤を持っていて,誰に向けてなされようとしていることなのかを考える必要がある,ということだと理解しました.言語管理理論では,言語問題の処理を「逸脱」「留意」「評価」「計画」「遂行」5つのステージからなる言語管理プロセスとして捉えています.5つのステージはそれぞれがもちろんキーワードの1つであって盛んに研究されているわけですが,個人的には,自分の研究や思考の中で前述のインタレストを(意識していなかったわけではないのですが,)キーワードとしては認識していなかったような気がしています.

一旦このことを認識してみると,言語政策も「共生」と同じように1つの言葉でしかなく,実態は多様に異なっていることが改めて理解されるように思います.一方で,そういった多様さを損なわないように留意する必要はあるとしても,言語管理の理論はある統一的な枠組で問題を考えることができる可能性を持っていることも,非常に面白いところです.

「共生」ということを考えるのに言語管理の理論が有効だということを再認識できたのは大きな収穫だったように思います.

1  この論文は2000年4月12日に開催された日本言語政策研究会 第一回発表会 課題講演の原稿を修正したもの,とのこと.

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2008年8月31日

読書メモ: 姜尚中 「悩む力」

  • 姜尚中. 2008. 悩む力. 集英社新書.

非常に読みやすくて,ざっと通読するだけなら1時間くらいかな.でも書かれている内容は示唆に富んだものだったと思います.いろいろな読み方があるはずですが私は本書を,自分自身が本書で言うところの「近代」人なんだなということを自覚するきっかけとして理解しました.

大きな枠組としては,「私」が「われわれ」から分断され,個々に切り離されていくプロセスをウェーバーと漱石の思考を追いながら見ていくことになります.議論は全部で9つのテーマに沿って進められていき,それぞれにいくつかのポイントが示されていました.それらのポイントをラインとしてつないでいるのが「相互承認」ということばでしょう.お互いに認め合う,認め合おうとすることによってこそ肥大しない自我を獲得できるんじゃないかという指摘には首肯できます.

読み終わってから自分自身の研究とのつながりをぼんやりと考えていたんですが,自分のやろうとしていることが少なくとも科学であるなら,対象を切り刻んで分断しっぱなし,細分化しっぱなしにしてはいかんのだろうなぁと思いました.会話という最小単位の社会を微視的に見ていこうとするとき,そこに生まれてくる社会には様々なレベルで行われている相互承認があるんだろうと思います.彼/彼女たちのしていることの実際を知るために会話を断片化させなければならないとしても,それで終わらせてはいけないんでしょうね.

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2007年7月12日

先行研究レビュー

私の現在の研究テーマは「日本手話話者間の会話におけるturn-taking」ですが,最近は改めて先行研究のレビューをしています.どんな研究があって,どんな成果が出ていて,どんな課題が残されているのかをまとめているわけですね.音声言語を対象にした先行研究をまとめる作業もくっついてくるので勉強になって興味深い反面,文献がほとんど英語なのでなかなか思うようには進まないのが辛いところです.むぅ.

さて,私が今のところ取りかかっているのは「日本手話のturn-takingでのTRPはどのように構成され,予期されるのか」というトピック.これを今までの流れの中に位置づけるとするとどうなるか.レビューをしてみてはっきりしたのは以下の3点.

シグナル・アプローチによる研究がほとんどであること
シグナル・アプローチの提出した問いというのは,ターンの交替・継続・終了がどのようなシグナルによって構成されて/調整されているのか,というもので,帰納的方法によって分析をしています.ASLのturn-takingを扱った最初期の研究であるBaker(1977)ではいくつかのコーパスの観察から,いくつかの特徴的シグナルを明らかにしています.後に続く研究の多く(たぶんほとんど)はこの流れに沿ったものとして捉えることができると思います.
一方で連鎖的アプローチによる研究はほとんどないこと
連鎖的アプローチはSSJ(1974)に代表される,turn-takingをプロセスとして捉え,相互行為的なturn-by-turnの調整プロセスを明らかにしようとするものです.音声言語ではこれに続く多くの研究が蓄積されていますが,手話言語ではどうかというと,ほとんどない,と言ってよい状態でしょう.
どの手話言語の研究でも視線の重要性が主張されていること
手話言語でのturn-takingでは,とにかく視線が合っていることがどんなシグナル・ルールよりも優先される重要なファクターであることが述べられています.これは私が研究している日本手話でも同じで,視線が合っていない状態でのturn-takingは起こらないか,失敗しているものがほとんどです.

というのが簡単なまとめになりますが,そうすると,今までに明らかにされてきた諸々のシグナルは,手話言語のturn-takingシステムとどのように関わっているのか,turnの開始・継続・完了の予期がどのように達成されるのかが問われなければならない,という方向で考える必要があるということがはっきりしました.また視線の振る舞いを最上位に据えたルールセットあるいはturn-takingシステムが提示されなければなりません.

それからもう1つ重要なこととして,こういったシステムの問題に加えて,言語管理理論からの接近によって日本手話話者の言語使用の実際を明らかにしたいと考えています.つまり,会話という相互行為場面ではどのようなことが逸脱として留意され,それはどのように評価されるのか.それに対する調整はどのように計画され,実施されるのか,までをturn-takingシステムの問題と併せて包括的に説明することが最終的な目標になります.

ちょーっと風呂敷を広げすぎたかもしれないと思わなくもないですが,なんとか,できる,はず,たぶん.がんばります.

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