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2011年6月 7日

時間はうまく使いたい

アノテーションのスクリーンショットなにかの標語みたいなタイトルになってしまった... 今週はミーティング2件の他,申請書が2件(うち1件はほぼ手つかず),授業が1件,研究会で出張が1件,なんだかもうよくわかりません.睡眠を削るといろいろとクオリティが下がるので,移動時間はご飯の時間です.トイレでご飯になってないのでまだ大丈夫なはず.

週末の研究会では手話発話のアノテーション・トランスクリプション作成の関連で発表予定.データセッションが可能な程度にまで文字化資料を作り込めるかどうかが大事です.目標は会話データ1分 × 2.レイヤを増やしすぎたかもしれないと少し後悔しましたが,よく考えたら分析のために必要な情報を絞り込んだ結果残ったものでした.削れませんね.集中して時間を使おうと思います.

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2010年4月 9日

ゴフマン, E. (1980) 『集まりの構造』 誠信書房.

集まりの構造機会を得て久しぶりに読み返しました.原著は1963のBehavior In Public Places: Notes on the Social Organization of Gatheringですね.日常の活動に目を向けただけではなくて,目を向けた上でこれだけ精緻に私たちのしていることを描き出したということには素直に感動を覚えます.

読んだのはもちろん(?)翻訳されたもので,日本語に翻訳されているからといっても全く持って難解な印象は変わらないのですが,前に読んだときとは印象が少し変わっていました.以前は関与についての論考(主要関与と副次的関与,支配的関与と従属的関与)に引かれていた記憶がありますが,今回改めて読んでみて「その場で実際に人々が何をしているのか」ということと「その場で規範的な振る舞いだと考えられていることは何か」という2つの区別が議論を展開する時に重要なことだったのだなと理解しました.主要関与と副次的関与,支配的関与と従属的関与という組が別々の相(といったらいいかしら)にある概念なんだなということが,よりはっきりと理解出来たように思います(幻でないといいのですが).それから状況(situation)と場面(setting)とを区別して考えているところも非常に興味深く読みました.物理的・空間的環境である状況と,その中に生じる場面という区別は必要があってしているはずですが,この2つも同じように「していること」と「考えられていること」との区別に関わっているのかなと思います.

個人的にはこういった概念を,日常活動の中で人々(特にろう者をはじめとした手話使用者)が出会う言語使用場面と,それに伴う言語問題を考える上でどのように役立てることができるかを考えていきたいところ.すでにいろいろな仕事がありますが,なんとかして突っ込んでいきたいものです.

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2009年10月10日

文字化について考える

今期の大学院ゼミでは共同研究プロジェクトとして文字化のことを考えることになる.第1回の昨日はいくつかの文字化の例を紹介したり,それぞれにストレスのあるところを出し合いながら問題意識を共有するところから始まった.研究室の人たちはみんな会話なりインタビューなり,なんらかの場面を対象にして研究をしている人たちなので,それぞれに違う悩みだったり着眼点があっておもしろい.

私自身はといえば,研究が手話を使った場面の分析であることもあって,こんなことが気になっている.それは音声言語の場合であっても音声だけを文字化すればいいのか?他に文字化する必要があるとすればそれはどんな情報なのか?ということ.例えば教室での授業の様子を文字化する,ということを考えると,先生が見回りながら学生に声をかけていたり,学生をあてるときには視線やジェスチャを使っていたりする.授業そっちのけで内職をしている学生がいたり,外を見て黄昏れている学生がいるかもしれない.そういう活動が総体として教室であることを作り上げているのだとすれば,教室内に飛び交う音声情報だけを拾っても意味がない.もちろん何でもかんでも文字化すれば良い訳ではなくて,分析のための文字化だとか,情報提示のための文字化だとか,統計処理のための文字化だとか,いろいろな手法が考えられるはずだけれど,その中の最適解にたどり着くにはどういうことを見る必要があるかに注意を払おうといつも思っている.

とはいえ一番大事なのは,文字化をどうすればよいかという問題ではなく,場面を記述するというのはどういうことかを考えることなのだろうと思う.それは間違いなく分析・研究に直結していると思うから.

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2008年5月28日

日本手話のあいづち

博論の話なわけですが,最近は一度まとめた先行研究をもう一回洗い直して追加できることがあるかどうかを吟味しています.分析のほうが若干停滞気味なので息抜きに,というところ.今日のエントリはその吟味の内容の話です.

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2007年11月 6日

日本手話のReactive Tokens

昨日は寝っ転がって考え事をしていたらそのまま寝てしまったみたいで,今日は寒さで目が覚めました.朝方は予想以上に冷え込みますね.まぁ自業自得なんですが,状態異常:「疲れた体」「肩こり」にくわえて「おなかが痛い」になりました.すべての効果が合わさると,必殺技「なにもはかどらない」が発動します.
えぇい

まぁそれはさておき.ここ最近は日本手話の会話を眺めながら,Clancy et al (1996)でいうReactive Tokensとして分類できそうなものを探しています.つまり,参加者たちが,自分が聞き手になっている場合どこで,どういうふうに,どんな発話を開始しているのかというのを考えています.そこから少し拡張してみて,例えば隣接ペアのBパートに「うなずきN」があらわれた場合や,相手の発話内容がよく理解できなかった場合に表示される「前傾姿勢PF」は,サイン(手話)が表示されていなくてもターンと見なしていいだろうなとか,そのあたりの分類をしていろいろ考えています.

ざっと眺めてみると日本手話の会話にはRTsがとても多くて,特にオーバーラップがある箇所ではほとんどの場合RTsが出てきています(経験的にもそうなんだろうなと思うのですがどうでしょうか).これは日本手話の会話での特徴と思われる重なりの多さ・長さと関連していそうな気がしています.Baker(1977)などの先行研究で挙げられた多くのシグナルは,このことからもっとターン・テイキングと絡めて説明できるかもしれません.

  • Clancy, P. M., Thompson, S. A., Suzuki, R. & Tao, H, 1996, The conversational use of reactive tokens in English, Japanese, and Mandarin, Journal of Pragmatics, 26, pp.355-87
  • Baker, C., 1977, Regulation and turn-taking in American Sign Language discourse, On The Other Hand: New Perspectives on American Sign Language (eds. Friedman, L.), pp.215-36, Academic Press

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2007年6月24日

多言語使用者の言語選択

6月23日(土)は第11回 言語管理研究会がありました.

今年度(2006年9月から2007年8月まで)は多言語話者の言語使用をテーマにディスカッションが進められてきましたが,思い返せば,最初にテーマとして考えられていたのは多言語話者だったんですね.これがディスカッションの中から,その人が何語をどの程度使えるのかというabilityの問題ではなく,言語をどう使うのかというmanagementの問題として捉えるべきだろうという段階に発展し,多言語使用者を考えはじめました.そういった認識を共有しつつ,今回は言語選択の問題(相手や場面などのインプットに応じてどのような言語を使うのか)を取り上げていました.

2人の発表者から話題提供を受けて全体のディスカッションへ.その中では,マレーシアのような場面による言語の切り替えが当たり前であるような社会(多言語社会)と日本のように場面による言語の切り替えが当たり前ではない社会(非多言語社会)とでは,多言語使用の在り方やそれに伴う管理プロセスが異なるのではないか.また言語的ホスト・ゲストという関係は必ずしも一定の様相をみせるわけではなく可変的であることが多言語使用を軸に考えることではっきりわかるのではないか.他にもいろいろとありましたが,とても内容の濃いディスカッションでおもしろかったです.

個人的な関心からは,言語的少数者(例えばろう者のような)の多言語使用を考えてみたいと思っています.前にも書いた覚えがありますが,私が知っている何人かのろう者からは日本手話と日本語対応手話のどちらか選択せざるを得ない場面に遭遇することがある,という話をききます.そこには場面のインプットとして社会的なパワーの問題があるはずだし,パワーが一方の言語を選択することを要請するという問題があります.そういった場合に彼/彼女らがどういう管理をしているのかということを考えないといけないかなという気がしています.

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2007年6月15日

文字化のサンプル

更新情報:2件
「Study > 会話記述の枠組み」に,サンプルファイルを追加しました.断片を3つ,1つのxlsファイルにまとめてあります.
「Hobby > おすすめCD」に何件か追加+増えてきたので分けました.大まかに「室内楽」「管弦楽曲」「その他」の3つです.

コンタクトを入れたら目に激痛が!!…はい,中和をし忘れました.ウサギのように真っ赤です.なんということだ…

普段はこんな感じで文字化をしていて,基本的には「会話記述の枠組み」で書いているような方針に従っています.手話言語では文法として機能する非手指動作NMS(e.g. 眉あげの共起で疑問,うなずきの共起で現在形 など)であったり視線といったものがあるため,実際のところはサンプルのような記述だけでは文を再構成できるわけでは必ずしもありません(まぁ手話言語に限った話ではありませんけれども).

ただ再構成はできないとしても,「記述の方針」でも書いているように,網羅的な(あるいは厳密な)記述が相互行為の分析という目的にとって必要な情報かどうかは,その時々でかなりの揺れがあるように思います.例えばこの文字化資料は「ほぼ正対位置で座っている2人の参加者のやりとりをビデオカメラ1台で横から捉えた映像資料」をもとに作成されています.そのため目の動き(例えば瞬きや見開き)があったかどうかを角度によっては確認できないところがあります.が,やりとりの内容を分析的に再構成していく上でそれらが重要になった箇所というのはそうはありません.また,そういった要素が相互行為を遂行する上で決定的な影響をもたらしたとすれば,やりとりの様子をみて推測することもある程度は可能ですし,調査後に行うフォローアップインタビューFUIで拾うことは可能です.ですから参加者の表情などのNMS,FUIで確認したことなど,必要と思われる情報についてはコメントという形で該当箇所に付加していくようにしています.もちろん文字化資料だけを頼りに分析をするのではなく,多くの相互行為場面研究がそうであるように,録画した1次資料自体を参照しながら進めていくことが重要なのは言うまでもありません.

それからまったく話は変わりますが.

ついでにといってはあれですが,ちょっと前からリンク先のスナップショット表示をHeartRails GlanceからSnapshotsに変えました.サイト外部へのリンクには右端にくっついているアイコンにカーソルを合わせたときだけスナップショットが表示されるのでうるさすぎないかなと思います.右上にオプションがあるので表示させたくなければ無効にしておいてください.

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