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文字化について考える [memorandum]

今期の大学院ゼミでは共同研究プロジェクトとして文字化のことを考えることになる.第1回の昨日はいくつかの文字化の例を紹介したり,それぞれにストレスのあるところを出し合いながら問題意識を共有するところから始まった.研究室の人たちはみんな会話なりインタビューなり,なんらかの場面を対象にして研究をしている人たちなので,それぞれに違う悩みだったり着眼点があっておもしろい.

私自身はといえば,研究が手話を使った場面の分析であることもあって,こんなことが気になっている.それは音声言語の場合であっても音声だけを文字化すればいいのか?他に文字化する必要があるとすればそれはどんな情報なのか?ということ.例えば教室での授業の様子を文字化する,ということを考えると,先生が見回りながら学生に声をかけていたり,学生をあてるときには視線やジェスチャを使っていたりする.授業そっちのけで内職をしている学生がいたり,外を見て黄昏れている学生がいるかもしれない.そういう活動が総体として教室であることを作り上げているのだとすれば,教室内に飛び交う音声情報だけを拾っても意味がない.もちろん何でもかんでも文字化すれば良い訳ではなくて,分析のための文字化だとか,情報提示のための文字化だとか,統計処理のための文字化だとか,いろいろな手法が考えられるはずだけれど,その中の最適解にたどり着くにはどういうことを見る必要があるかに注意を払おうといつも思っている.

とはいえ一番大事なのは,文字化をどうすればよいかという問題ではなく,場面を記述するというのはどういうことかを考えることなのだろうと思う.それは間違いなく分析・研究に直結していると思うから.

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