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日本手話のあいづち [memorandum]

博論の話なわけですが,最近は一度まとめた先行研究をもう一回洗い直して追加できることがあるかどうかを吟味しています.分析のほうが若干停滞気味なので息抜きに,というところ.今日のエントリはその吟味の内容の話です.

手話言語のあいづち研究は少ないらしい

今日は「あいづち」のことを考えていたわけですが,日本手話のあいづち研究(だけには限らなくて,たぶん他の手話言語でも同じだと思います)がなかなかみあたらないんですねー.私が日本手話のあいづちを考えようとするときは,基本的にClancy et al(1996)の反応的トークンの枠組を援用しています.反応的トークンは「バックチャンネル」「反応的表現」「協同的終了」「繰り返し」「再開的開始」の5つからなる枠組で,これは以前に書いたとおりですが,彼らの研究では「音声による表現」だけが扱われていることには注意を払っておくべきかなと.つまり,うなずきだとか首振りといった身体動作は分析の範疇に含まれないわけですね.ここを考える必要があります.

同じように考えて良さそうなところ

ということで考えていきますが,まず「音声による」というところを「サインによる」と読み替えても,まず差し支えはないと思います.つまり反応的表現,協同的終了,繰り返しの3つは音声言語と同じように考えても問題ありません.それからバックチャンネルで出てくるような「へぇ」とか「そう」といったものに相当するサインは日本手話にもあって,これを会話のなかで見つけることは難しくありません.ここらへんは同じように考えて良かろうと思います.

問題になりそうなところ

問題になりそうなのは身体動作のみでのバックチャンネルと再開的開始の2つ[1].表現形式としてはどちらも同じ(で,後ろにターンがくっつくかどうかの違い)だということですが,Clancyたちが扱っていなかった身体動作(ここでは「うなずき」)に注目してみると,手話言語の場合「うなずき」だけ,あるいはサインで「へぇ」とやりつつ「うなずき」もするというものがたくさんでてきます.そういうものを見つけたときに「どちらも反応的トークンとして扱うのか,あるいはサインが伴っているものだけを反応的トークンとして扱うのか」ということを考えておく必要があります.

機能を考えると同じもの

結論を先に書いておくと,「どっちも反応的トークンだと考えて問題ない」と思っています.というのは,単純に考えてみてバックチャンネルを表出しているときは音声言語でもうなずいている(ことがある),という事実があるからです.言うまでもなく,音声によるあいづちとうなずきの共起については研究があって,会話の進行に一定の機能を果たしていることは明らかなわけです.そういう場合のあいづちとは「共起しているもの全体」を指すわけですから,「サインによるバックチャンネルと身体動作との共起」をあいづちとして想定することができるはず.それからあいづちの機能というものを考えてみると,「傾聴や理解,賛同の表示」,「継続を促す」などがあります.会話を見ている立場からの直観と参加者にとったいくらかの確認からは,こういった機能が手話言語のうなずきにあることがわかります.形と機能との結びつきを考えた場合には音声言語との相違がでてくることが予想されるますが[2],視覚メディアによるコミュニケーション手段である手話言語で,頭の動きが(サインを伴わないとしても)バックチャンネルとして機能していると考えるのは不自然なことではないと思うのですが,どうでしょうか.

[1] Resumptive Opener(再開的開始)についてはターンに入るんじゃないか,という気がするので別の問題があるかもしれません.
[2] 経験的には相手の話している内容が肯定的内容なのか否定的内容なのかによって首を縦に振るのか横に振るのかが変わっているような気がします.必ずそうだというわけではないかもしれませんが.

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