« 横領されていたものもあるそうです | メイン | Safari3 for Windows »

多言語使用者の言語選択 [memorandum]

6月23日(土)は第11回 言語管理研究会がありました.

今年度(2006年9月から2007年8月まで)は多言語話者の言語使用をテーマにディスカッションが進められてきましたが,思い返せば,最初にテーマとして考えられていたのは多言語話者だったんですね.これがディスカッションの中から,その人が何語をどの程度使えるのかというabilityの問題ではなく,言語をどう使うのかというmanagementの問題として捉えるべきだろうという段階に発展し,多言語使用者を考えはじめました.そういった認識を共有しつつ,今回は言語選択の問題(相手や場面などのインプットに応じてどのような言語を使うのか)を取り上げていました.

2人の発表者から話題提供を受けて全体のディスカッションへ.その中では,マレーシアのような場面による言語の切り替えが当たり前であるような社会(多言語社会)と日本のように場面による言語の切り替えが当たり前ではない社会(非多言語社会)とでは,多言語使用の在り方やそれに伴う管理プロセスが異なるのではないか.また言語的ホスト・ゲストという関係は必ずしも一定の様相をみせるわけではなく可変的であることが多言語使用を軸に考えることではっきりわかるのではないか.他にもいろいろとありましたが,とても内容の濃いディスカッションでおもしろかったです.

個人的な関心からは,言語的少数者(例えばろう者のような)の多言語使用を考えてみたいと思っています.前にも書いた覚えがありますが,私が知っている何人かのろう者からは日本手話と日本語対応手話のどちらか選択せざるを得ない場面に遭遇することがある,という話をききます.そこには場面のインプットとして社会的なパワーの問題があるはずだし,パワーが一方の言語を選択することを要請するという問題があります.そういった場合に彼/彼女らがどういう管理をしているのかということを考えないといけないかなという気がしています.

言語の切り替えのことでもう少し.話す相手や内容によってどの言語を使うかが変化するという話が出ていましたが,そのときにマレーシアの多言語使用者は実はそれほど管理を行っていないのではないかという指摘がありました.この管理を行っていない(かもしれない)ということは,基本的な共通もしくは共有している規範が充分にあるということを意味しているのではないかなと思います(逆に非多言語社会では管理をしないとそういった規範を創ることが困難だ,と言えるかもしれません).これは同一のスピーチコミュニティ内の社会文化的,社会言語的な規範ではなくて,何某かの言語を使って相手と相互行為を構築していくときに参照される(私の指導教官が言っている普遍規範と関係するのかな)ような規範です.

この規範は非多言語社会ではみられないものなのか,また非多言語社会での言語管理の中からできあがってくる規範とどう違う/共通するのか(言語管理プロセスの各ステージでどんな違いが出て来るのか)などなど,いろいろと考えたいことがたくさん出てきました.

トラックバック (0)

このエントリーのトラックバックURL: http://dormouse.oops.jp/mtc/mt-tb.cgi/100

(スパム対策として当該エントリへのリンクが含まれないトラックバックを弾いています)

以下の一覧は、このエントリーを参照しています:  多言語使用者の言語選択

コメント (0)

コメントを投稿

(コメントは承認制をとっているため,公開されるまで時間がかかる場合があります)


画像の中に見える文字を入力してください。