« Windows Vista:よくなったよ編 | メイン | 削除手順の誤り? »

自然,自由,本来,本質 [memorandum]

更新情報:2件
「手話研究のこれまで」にろう社会運動についての部分を加筆
「手話言語研究」に「調査協力者の意識」を追加

エントリのタイトルになっているのは,私が研究を進めるとき,論文を書くときに絶対に使わないようにしているタームです.例えば自然場面,自由対話,本来的には,本質的な問題,などなど.

理由は大きく次の2つです

  1. 自然場面や自由対話という言葉は,調査者のことばであって場面の参加者のことばではない
  2. また調査というセッティング自体,自然ではないし自由でもない(逆に調査それ自体が相互行為の行われる自然場面だと考えることもできる)

1は当然のことですが,意外に忘却の彼方へ飛んでいってしまうことかもしれません.これは私も含めてなので自戒を込めて.私たちは普段の生活の中で様々な場面に遭遇していて,場面から場面へと次々に飛び移ってやりとりを紡ぎ出していきます.ただしその中には自然場面ということばでくくれるようなものはないんじゃないだろうかと思います.私たちが遭遇しているのはあくまでも,買い物に行った時の店員とのやりとりだったり,恋人や家族とのやりとり,研究会での質疑応答,遅刻したことへの謝罪とその後の仕切り直し,といった具体的な場面のはずです.

それから2は「Study > 研究の部屋 > 自然場面?」で書いた話.単語ひとつにこだわり過ぎるきらいがありますが,完全に,まったく自然で自由な場面なんて私はどこにもないと思っています.例えそれが調査以外のセッティングで起こったものだとしても,何が自然でどう自由だったのかは参加者が場面をどう認知していたのかに関わる問題です.場面の外部(どこまでが内部かという問題はありますが)からの操作がないという意味では調査者にとっても協力者にとっても自然な場面なのかもしれませんが,そこまで無邪気に「自然なやりとり」を信用していいものかどうかには疑問が残ります.

という理由で私はタイトルにあることばを使わないようにしています.使ったが最後,言語行動や相互行為の研究ができなくなるような気がするわけです.私が研究のフレームとして使っている言語管理研究や接触場面研究が魅力的なのは,ここで述べた2つの問題から距離をとることができる態度をとっているから,つまり「ある特定の場面での参加者の意識」に最大の関心を寄せているからなんだろうと思っています.

1の中で「場面から場面へ」ということを書きましたが,一方でそのジャンプが困難な人もいます.私が関心を持っているろう者もそういった人たちだろうと思いますが,その要因はなんなのか,彼・彼女たちはそれにどう対応しているのか,問題に対処するオルタナティブはあるのか,そういったことに関心を寄せることが重要なのはいうまでもありません.

トラックバック (0)

このエントリーのトラックバックURL: http://dormouse.oops.jp/mtc/mt-tb.cgi/137

(スパム対策として当該エントリへのリンクが含まれないトラックバックを弾いています)

以下の一覧は、このエントリーを参照しています:  自然,自由,本来,本質

コメント (0)

コメントを投稿

(コメントは承認制をとっているため,公開されるまで時間がかかる場合があります)


画像の中に見える文字を入力してください。